さて、今回は、
寒い時期に真珠の浜揚げをするのはなぜ?
というテーマでご紹介したいと思います。
真珠の浜揚げの時期はいつ?
真珠の浜揚げというのは、大切に育ててきた真珠貝の中から真珠を取り出す作業のこと。一年で一番寒い時期に行われます。養殖真珠は挿入された核の周りに何百、何千と真珠層を巻き付けることで美しい真珠になっていきますが、12月から1月の寒い時期に巻く真珠層は「化粧巻き」と呼ばれ、ひときわテリが美しいといわれます。そこで最終層が最も美しい寒い時期に浜揚げすると、とりわけ美しい真珠を採取できるのです。最も寒い時期に浜揚げされた真珠が美しいと言われるのはこのためです。
真珠の浜揚げではどんな作業をする?
浜揚げは、これまで膨大な時間と手間を掛けて育ててきた苦労が報われる瞬間です。たくさんのアコヤ貝の入ったネットを海から引き揚げ、ネットから貝を外してアコヤ貝を開け、真珠を取り出します。厳寒の海上で引き上げていく厳しい作業ですが、この時期ならではの化粧巻きが真珠層の最も表に来るように、12月から1月ごろに浜揚げを行うことが多くなるのです。
日本の真珠養殖技術の歴史
今でこそ養殖の真珠が当たり前になりましたが、かつて真珠は海から生まれる神秘的な宝石とされ、謎に満ちた宝ものでした。天然真珠はさまざまな国の神話や伝承に登場し、太古から人々を魅了し続けてきました。
日本でも古事記や日本書紀、万葉集などの文献に「しらたま」「まだま」などの名が登場しています。真珠は研磨やカットを必要とせず、自然のままで完璧に美しい宝石である点が最大の魅力です。天然の真珠は大変貴重で、なぜ貝の中から真珠が現れでるのか、長い間謎とされてきましたが、日本では真珠を作ることに成功しました。それが養殖真珠の始まりでした。
伊勢志摩から始まった日本の養殖真珠の歴史。三重県志摩地方で商いをしていた御木本幸吉氏が視察旅行先の東京で天然真珠が高値で取引されているのを目にし、真珠の養殖を思い立ったとされているのが1878年のこと。それから数々の困難を乗り越えて1893年、5個の半円真珠の養殖に成功し、日本の真珠養殖が本格的にスタートしました。20年以上の時を経て1919年に御木本幸吉がヨーロッパの市場に出した真珠は、養殖期間が3~5年もの時間をかけたものでした。養殖された7ミリの真珠には4ミリの核が入り、1.5ミリもの真珠層が巻いていたといわれています。惜しみない手間と時間をかけて、養殖真珠は完成したのです。
現代の真珠養殖
真珠養殖は現在も時間と手間がかかることに変わりはなく、母貝となるアコヤ貝の稚貝を確保し、育成するところから始まります。稚貝の育成は海で行われ、育ったアコヤ貝に核を挿入しますが、この「挿核作業」には繊細でデリケートな技術が要求され、日本人の手の器用さから生まれたといわれるほどです。挿核手術の上手下手が、浜揚げ時の真珠の品質の差となって現れます。
挿核作業を終えたアコヤ貝は特殊なかごに入れて陸付近の筏に吊っておき、十分に養生させたあと、沖合の漁場に移動して沖だしします。養生中に回復できなかった貝は死亡し、脱核(核を吐き出してしまうこと)してしまいます。
養殖期間は一般的に半年から2年ほどで、核のサイズや漁場によって異なりますが、この間も貝の掃除など海の上での仕事が毎日行われ、最後に行われるのが浜揚げと呼ばれる真珠の採取です。暑さ、寒さのある日本の四季の移ろいと日本人の細やかな技術力と配慮が美しい養殖真珠を生み出しています。
「越し物」「越し珠」とは?
真珠を購入するにあたって「越し物」「越し珠」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。養殖真珠の中で、夏を二度越したものを「越し物」「越し珠」と呼んでいます。通常、真珠は1年間の養殖期間で育てます。通常の1年で浜揚げする真珠を「当年物(とうねんもの)」と呼びますが、「越し物」は倍以上の長い年月をかけて、真珠層を巻かせていくので、巻きが厚くなります。真珠層が2000層以上巻くと、巻きの厚さが0.4ミリを超え、高品質となります。巻きの厚い真珠は経年劣化にも強く、美しさも長持ちします。また巻きが厚いと、輝きが損なわれても研磨などのメンテナンスが可能になります。
長い年月と手間暇をかけて丹精し、育てたアコヤ貝から養殖真珠を取り出す浜揚げは、努力が報われる瞬間です。浜揚げされた養殖真珠の輝きは、日本が誇る養殖技術と育てる人の努力が結集したものなのです。
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